金ピカ先生の現在!隠居で屍生活を送っていた!
昔テレビで話題だったあの金ピカ先生の今に迫る!
何と昔話題になっていたあの金ピカ先生は現在はほとんど引きこもり生活だった??
ここで金ピカ先生を知らない現代の子達「私もだが」に簡単に金ピカ先生のプロフィールを紹介
1980年代に予備校のカリスマ人気講師として君臨
派手なスタイルが話題となり、高価な宝飾品を身にまとい、独特な風貌でタレントとしても活躍した。
本名は佐藤忠志さん(67)
そんな金ピカ先生ですが、現在は1年半ほど前に、長年連れ添った愛妻が夫婦喧嘩で家を飛び出しちゃったそうで、今は「やりたいこともないし、やることもない。生きる屍(しかばね)です」とその人生観を語った。
最近は何をされて生活してるんですか?との質問には、
「最近ですか? 隠居です。朝からビール飲んでますよ。朝昼晩。飲みたいもの飲んで。いつ死んでもいいんですから。だって、やりたいこともないし、やることもないんだから。生きる屍(しかばね)ですよ。人生、大満足しているから、いいんです。未練ないです。引きこもり生活? そうですよ。政治? まったくです。関心ないです。そんな元気ないです」
と語っている。
随分自堕落な生活を送っているようにも見える金ピカ先生ですが、
2001年に小泉政権の自民党公認で出馬。落選したが、それまでも政界から何度となくオファーを受けるほど当時は知名度と人気は抜群でした。
1980年代に代々木ゼミナールを手始めに東進ハイスクールなど予備校のカリスマ講師として君臨し、「いつやるの? 今でしょ」の林修先生のようなタレント講師の走りの’ような存在でもありました。
金ピカ先生、当時の年収を聞いてみた。
「2億。他に参考書の印税だけで1000万。(講義料は)90分で200万。それが何コマもあるから、1か月で1000万超えましたよ。2000万近かったんじゃないですか。(昭和)30年代の(石原)裕次郎さん、三船(敏郎)さんクラス(のギャラ)です。三船さんも随分と可愛がってくれましたよ」
なんと年収は2億。
当時は代ゼミ人気のなかでも金ピカ先生の存在はズバ抜けていたそうで、講座を取るために徹夜の行列が出来たほどみたいです。
そんな金ピカ先生が当時を振り返り、、、
当時、代ゼミの講師用の駐車場は高級外車だらけだったって本当でしょうか??
「それは嘘ですよ(苦笑い)。ただ、横浜校の駐車場は私のリンカーンが止まれるスペースを作ってくれました。(代ゼミが) こんな凋落するとはだれも思ってなかったでしょう。だからあの頃の私と同じ年齢の先生たちは、今、生活大変でしょうね。 かわいそうに。大船校も撤退して、行ったら、道路まで変わっちゃって。あの頃は、大船校の商店街で、私の講座の生徒がすげえもんだから苦情がきたんですよ。ところが私が横浜校に行っちゃったら、あの頃が懐かしい、また大船に戻ってきてくれって。商売なんないって言ってました」 「林先生はギャラ、安いんじゃないですか。(当時の)私は、ホテルは一番いいスイートでしたし、移動はハイヤーでしたし、新幹線はグリーンはもちろん、飛行機はファーストクラス。ねー、いい時代でした。 ちょうどバブル期も重なった。使っても使っても使いきれないほどの収入を得た。 欲しいもん、なんでも買えました。スイスでこれ(時計)買いに行ったんですよ。 そしたら、ホテル代出してくれましてね。 お金あると逆に使わなくて済むんです。時計の値段? 当時で2000万円。キャッシュで? そうです。キャッシュが一番強いんです」
等と語っていた。
現在の金ピカ先生
凄い時代だったんですね。
また、情報が入り次第更新して行きたいと思います。
読んで頂いてありがとうございました。
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ここで金ピカ先生を知らない現代の子達「私もだが」に簡単に金ピカ先生のプロフィールを紹介
1980年代に予備校のカリスマ人気講師として君臨
派手なスタイルが話題となり、高価な宝飾品を身にまとい、独特な風貌でタレントとしても活躍した。
本名は佐藤忠志さん(67)
そんな金ピカ先生ですが、現在は1年半ほど前に、長年連れ添った愛妻が夫婦喧嘩で家を飛び出しちゃったそうで、今は「やりたいこともないし、やることもない。生きる屍(しかばね)です」とその人生観を語った。
最近は何をされて生活してるんですか?との質問には、
「最近ですか? 隠居です。朝からビール飲んでますよ。朝昼晩。飲みたいもの飲んで。いつ死んでもいいんですから。だって、やりたいこともないし、やることもないんだから。生きる屍(しかばね)ですよ。人生、大満足しているから、いいんです。未練ないです。引きこもり生活? そうですよ。政治? まったくです。関心ないです。そんな元気ないです」
と語っている。
随分自堕落な生活を送っているようにも見える金ピカ先生ですが、
2001年に小泉政権の自民党公認で出馬。落選したが、それまでも政界から何度となくオファーを受けるほど当時は知名度と人気は抜群でした。
1980年代に代々木ゼミナールを手始めに東進ハイスクールなど予備校のカリスマ講師として君臨し、「いつやるの? 今でしょ」の林修先生のようなタレント講師の走りの’ような存在でもありました。
金ピカ先生、当時の年収を聞いてみた。
「2億。他に参考書の印税だけで1000万。(講義料は)90分で200万。それが何コマもあるから、1か月で1000万超えましたよ。2000万近かったんじゃないですか。(昭和)30年代の(石原)裕次郎さん、三船(敏郎)さんクラス(のギャラ)です。三船さんも随分と可愛がってくれましたよ」
なんと年収は2億。
当時は代ゼミ人気のなかでも金ピカ先生の存在はズバ抜けていたそうで、講座を取るために徹夜の行列が出来たほどみたいです。
そんな金ピカ先生が当時を振り返り、、、
当時、代ゼミの講師用の駐車場は高級外車だらけだったって本当でしょうか??
「それは嘘ですよ(苦笑い)。ただ、横浜校の駐車場は私のリンカーンが止まれるスペースを作ってくれました。(代ゼミが) こんな凋落するとはだれも思ってなかったでしょう。だからあの頃の私と同じ年齢の先生たちは、今、生活大変でしょうね。 かわいそうに。大船校も撤退して、行ったら、道路まで変わっちゃって。あの頃は、大船校の商店街で、私の講座の生徒がすげえもんだから苦情がきたんですよ。ところが私が横浜校に行っちゃったら、あの頃が懐かしい、また大船に戻ってきてくれって。商売なんないって言ってました」 「林先生はギャラ、安いんじゃないですか。(当時の)私は、ホテルは一番いいスイートでしたし、移動はハイヤーでしたし、新幹線はグリーンはもちろん、飛行機はファーストクラス。ねー、いい時代でした。 ちょうどバブル期も重なった。使っても使っても使いきれないほどの収入を得た。 欲しいもん、なんでも買えました。スイスでこれ(時計)買いに行ったんですよ。 そしたら、ホテル代出してくれましてね。 お金あると逆に使わなくて済むんです。時計の値段? 当時で2000万円。キャッシュで? そうです。キャッシュが一番強いんです」
等と語っていた。
現在の金ピカ先生
凄い時代だったんですね。
また、情報が入り次第更新して行きたいと思います。
読んで頂いてありがとうございました。
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